Electric-Amethyst

まとめ的なw

謙虚な姿勢

巽(そん)にして耳目聰明なり。
        (火風鼎)


火風鼎(かふうてい)の「鼎(てい)」は、天への供物を煮炊きする大鍋である。
重要な祭器であり、古代中国では国威を表す象徴であった。
そこから統治者の実力や国家権威を疑うことを
「鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問う」というようになった。
 
鼎(かなえ)は王が賢人に饗する際にも用いられた。
賢人が多く集まれば鼎(かなえ)は重く大きくなる。

「巽(そん)」は従順、謙虚。
リーダーが謙虚に賢人の意見に耳を傾け、「耳目聡明」であれば、
国の権威は保たれ、鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問われることはない。

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謙虚と媚び諂いは違う。

謙虚は、中心軸は自分にある。自分を磨くためには、どんな人が、何を言おうが偏見なく、自分に取り込む姿勢と行動。従って、謙虚に人は、どんどん自分の考え方が洗練される。

 

媚び諂いは、中心軸は他人にある。他人の目から見えてよく見えるか、よく見えないかが大事。自分の変革の意図なく、対面を保つために行うケースが多い。従って、一見従順そうに振る舞いながら、心の中は頑なな別人格。

 

謙虚に耳をかたむけるという言葉をリーダーが発したときは要注意。

謙虚な人は、他人の意見で自分の考え方を進化させる。謙虚なふりをしている人は、ガス抜きのために、耳をかたむけるだけ。おもねっているとも言い換えられる。

謙虚というのは、いつから悪い言葉になったんだろう。謝罪とか、自分を押し殺すとか、そういうときに使われる。謙虚は他人への迎合では全く無い。謝罪でも反省でもない。自分の考えを進化させるために、どこからでも学ぶ姿勢。

どんなに偉くても、私のような目下の意見の本質を素早く理解し、自分の考え方に貪欲に吸収し、自分の考え方を進化させる習慣のある人。そういう人は立ち居振る舞いは、した手でないが、謙虚な人。

謙虚はした手、謝罪、自分の押し殺し、媚へつらいの意味ではない。そういう面従腹背は、却って毒。自分で考えるという軸をぶらさず、何でも貪欲に、偏見なく、新しい知恵、知識、情報を吸収し融合すること。学習のこと。